2023.8.12 Aだより
ハレルヤ!
今週は6日が広島原爆忌、9日は長崎原爆忌でした。
6日の礼拝の司会を夫がさせていただいて、広島原爆忌に寄せて平和を求める祈りをさせていただきました。
軍拡による平和でなく、平和の君を心にお迎えすることなくしては、妬み、恨み、支配欲は克服できず、
主にある隣人愛こそが平和を作るのだと思います。
♪夾竹桃は咲いたけど
作詞・作曲: 山内修一 / 編曲: ミチコ・ヒル
1 夾竹桃(きょうちくとう)は 咲いたけど 眠った人は 帰らない
七つの川は 今日もまた あの日のように 流れてる
くずれたドーム 傷のあと 眠った人は 帰らない
2たとえみんなが 忘れても あの日の傷は いやされない
真夏のひざし 今日もまた あの日のように ふりそそぐ
名もない人の 記念塔 あの日の傷は いやされない
3ひとりひとりの まごころに 平和の君をうけるまで
悲しい塔は立つだろう 悲しい雨にぬれながら
ひとりひとりの まぎころで 平和の君に ちかうまで
8/6(日)
広島原爆忌
2014年はALSの告知を受けて1年 念願の広島平和記念式典に行きし
https://note.com/satonao310/n/n43684d75f6f3 より
おそらくは 今も宇宙を走りゆく 二つの光 水ヲ下サイ
水ヲ下サイ
「原爆小景」より 原 民喜
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
オーオーオーオー
オーオーオーオー
天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
オーオーオーオー
オーオーオーオー
夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ
この詩に書かれているのは、もちろん被爆した方の叫びである。
ある日、生活が突然壊される。
日常が突然破壊される。
その理不尽。
そして、そんなことより、ただただ水を欲する、死んだ方がマシなほどの痛み。
8/7(月)
今は剣もやりも使わぬ時代なり 核と戦車とミサイルは何に
戦争で儲ける人がある限り武器なくならぬ 雨しとしと降る
リハビリで55度の長座する コルセットつけ 車載るを期待
8/8(火)
今日はハスの日と友教えたもう 思い出呼びぬ
2013年歩けた最後の年の夏 3か所のハス友らと見たり
烏丸半島のハス群生地 守山妙蓮 野洲の大賀ハス
一つの花の中にいくつも花のある蓮 妙な蓮なり守山妙蓮
烏丸半島のハスは全滅してしまい 二重の意味で見納めとなる
甲子園球場10個分のハス群生地 消えても我らの心に残る
大賀ハス3000年眠りて目覚めたる一つのタネより分かれ野洲へも
10年の年を経て皆変われども 私の中ではこのままの友
その下に行けば芳し蓮の雨降り注ぎそな蜂巣と蓮葉(弥生公園の大賀ハス)
<https://biwako-otsu.keizai.biz/headline/2066/> 野洲市で「大賀ハス」今年も開花 弥生時代の種子が令和に – びわ湖大津経済新聞 (keizai.biz)
古代ハスの「大賀ハス」が6月20日、弥生の森歴史公園(野洲市辻町)で開花した。
<https://biwako-otsu.keizai.biz/photoflash/3706/> 咲き始めから日を追うごとに色が薄くなる
「大賀ハス」は1951(昭和26)年、千葉市検見川遺跡の地下約7メートル、
泥炭地層下の青泥中より丸木舟などの出土品と共に発見されたハスの種子。
大賀一郎理学博士によって、発見された3粒のうち1粒の発芽に成功し、
「大賀ハス」と名付けられた。
シカゴ大学による年代測定で2895~3255年前の種子だと推定される。
弥生の森歴史公園は弥生時代の竪穴住居と高床倉庫を復元し、
弥生時代の暮らしを再現している。
1988(昭和63)年の開園時に「弥生時代の生活を再現するために、
その時代に咲いていたであろう大賀ハスを栽培したい」と鳥取農業試験場より譲り受け、
栽培を始めた。
毎年6月中旬ごろに咲き始め、6月末から7月初旬に見頃を迎える。
大賀ハスは咲き始めはピンク色が濃く、日を追うごとに色が薄くなっていき、
2、3日で散り、次々と開花する。
同館の学芸員井上竜也さんは「朝に開花し、11時ごろから花が閉じ始めるので、午前中に見ていただきたい」と呼び掛ける。
開園時間は9時~17時。月曜休館。入園無料。
8/9(水)
長崎原爆忌
西日本新聞・社説・コラム 原爆短歌 何を伝える 吉田昭一郎より
短歌は、一瞬を短い言葉で歌いつつ、背後の世界をも思わせる文芸だ。
歌人の桜川冴子さん(福岡女学院大准教授)に多くの歌人の作品を教えていただき、改めて知った。
〈友探し原子野さまよふわが傍を死屍積むリヤカーいくつか過ぎにき〉
〈母は死に抱く子は生きて乳さぐるを見しがその後の生死を知らず〉
経済学者で九州大名誉教授だった小島恒久さんは、長崎高商(現長崎大経済学部)の学生の頃、
爆心地から2・5キロの山あいの学校で被爆した。翌日から爆心地一帯で、友人を捜した時の歌だ。
「焼け尽くした野に余燼(よじん)がくすぶり、あちこちに焼け焦げた遺体がころがっていた。
なかには、なお生きて呻(うめ)いている人もあり、なまぐさい異臭があたり一面にただよっていた。
その荒寥(こうりょう)たる光景には、人類の最後を思わすような絶望的なむなしさがあった」。
小島さんは、歌集「原子野」でこう書いている。
〈瓦礫の下に救ひもとむる声あるに術(すべ)なく過ぎき今に夢見る〉
残像は生涯、脳裏から消えなかったか。
草野源一郎さんは、当時、爆心地近くの長崎医大(現長崎大医学部)の学生で、
病気休学のため長崎県諫早市の自宅にいた。
諫早からの救護隊に加わり、大学構内や下宿跡などで学友らを捜し歩いた。
〈瓦礫積み立木くすぶる浦上の人掻き消えし静寂をゆく〉
〈壊滅の医学部をめぐり呼びつづけ眼科地下室に生きて逢ひ得たり〉
「死の街と化した瓦礫(がれき)の原野は人通りもなく、何かひんやりとしていた。
生きのびたものも放射能のため一週間のうちに殆(ほとん)どが死に絶えた」
=短歌現代別冊『昭和の記録 歌集八月十五日』(2004年8月発行)より。
竹山広さんは、浦上第一病院から退院の日、迎えの兄を待っていて被爆した。
竹山さんは病院を出て、兄が来たであろう道をたどる。
そこここに黒焦げの遺体。息がある人は水を欲した。
兄は見つかったが、終戦の日に亡くなる。
〈欲る水をいくたびわれは拒みしか愚かに兄を生かさんとして〉
水を飲み過ぎると死期が早まると伝わっていたようだ。それでも消えぬ悔い。
何度目かの原爆忌に歌ったのだろう。
〈十一時二分の空に鳴る鐘の天の叱咤とおもふまで鳴る〉
3人の歌人は、既に鬼籍に入っている。
呼吸器をつけて間もなき頃吾も喉が渇きて水を欲りにし
ナースは誤嚥を心配給い水くれず 口腔ケアのスポンジで口を湿らす
そんなくらいでも辛かった 被爆者の渇きは計り知れない
シャワーの時右手体に押し乗られ、中指第一関節悲鳴
吾の必死のまなざしの意は伝わらずずっと泣いてた今日のシャワーは
車いすを吾が福祉車両に積んでみる 夫とケースワーカーK氏
ぎりぎりで積めたと言いぬ 吸引器はレンタル頼んだと 夫は慎重 付き添いを頼みしIさん来てもらい外出練習せよとワーカー
もし娘不調なりなば友の夫外出の時の運転すると
夫婦して助けてくださる友人がいてくれることありがたき事
吾のパソコン設定の時はSさんのご主人に度々お世話になった
こんな篤き友情持てるともがらを与え給いし神に感謝す
8/11(金)
ふるさとの観音像が東京で展示されてるのを見に行くと弟
神奈川の叔父を訪ねて来るという 懐かし交わり 吾もあいたし
(長浜市の)北部だより読めば楽しきいろいろな行事がありぬ よきふるさとよ
山の日は同窓会の日 友がらの顔を見たくてビデオの通話
つながらず電波悪いかと思うとき 同窓会は来週と返事
zoomできる友連絡をくださって、明日予行のズームを試す
夫と娘保育園で世話になるT先生召天さると
8/12(土)
zoomホストになりて友2人に招待のメールの出し方復習をする
13時一人は来たがもう一人は入ってくれぬ ラインでやり取り
Tさんとはズームで話しSさんとはラインで話す 同時は大変
初期化したパソコンゆえかSさんは入れず ラインで3人チャット
同窓会当日T氏のパソコンと我のを使ってzoomをします
スケジュールでなく新規ミーティングをその時立ち上げすることにする
5年ぶりに顔見しTさん顏のしわ増えているけど声はそのまま(20代のまま)
迷走台風6号は沖縄に大きな被害をもたらし、
続いてやってくる7号は15日に近畿地方を縦断する予報が出ていますね。
家の周りの飛ばされそうなものを片付けて、停電への備え、食料と水の確保をしてください。
被害にあわれた方に刷毛ましと立ち直る力が与えられますように。では、シャローム。