2022.11.12 Aだより
ハレルヤ!
美しい紅葉や月食の写真を送っていただいて楽しく過ごしていたあと、
叔母の容態が悪いといとこが知らせてくれました。敬老の日に寄せて叔母に送った福音メッセージの手紙を枕元で読んであげたと。耳は最後まで聞こえていると聞きます。従弟が枕もとで、私の手紙を読んでくれたこともご聖霊の働きだと感謝しています。次の日の未明になくなったと知らせが来ました。優しく、いつも笑顔だった叔母に会いに行けないのが悲しいけれど、福音を聞いて信じてくれたなら、また天国で再会できると思います。
倫理規定定めねばならぬ説明をかの人はどう思いて聞くか
交流会と重なりしゆえ退席す 知恵と力は神のもの
交流会に吾参加すると知らないで 申し込みされたIさんに会う
吾に会うは病院に来るしかないと思っていたのにzoomという手があり
レスパイト入院についてよく知っておられて大いに学習したり
広島の交流会でお世話になるべつのIさんも参加し給う
保健師さん、本部役員、支部役員 患者と家族支援者で12人
フリートークの時間長く取れ満足な交流会となったが嬉し
信友の教会 駐車場を購入できた 主の御計らいが素晴らしいなり
11/7(月)
今日は立冬
今日の学習・万葉集遊楽より「秋山われは」668年、近江大津に都が遷された1年後のことです。
中大兄皇子(なかの おおえの おうじ)が即位され、天智天皇が登場しました。
長年住み慣れた飛鳥から遠く離れた近江に都を遷したのは白村江(はくすきのえ)海戦で唐に大敗し、外敵の侵攻に備えて国内の守りを固める必要があった為とされていますが、官民の悪評甚だしく、放火が絶えないなど不安定な世情でした。
都造りが一段落した669年頃、そのような人心を一新するためか、天皇は
大掛かりな詩宴を催されます。天皇列席の下、元老藤原鎌足以下高位高官がずらりと居並び、美しく着飾った後宮の女性がきらびやかに侍る中での文雅の宴です。
これまで、国見、祝祭、歌垣、恋愛、挽歌など生活に密着して詠われた詩歌が、
自然を詠い、その優劣を争うという初めての試みで、後世盛んに行われた
歌合せの原型をなし、現在も続く曲水の宴や御歌会にもつながる我国文学史上
画期的な催しとされています。
命題は「春山の万花の艶(にほひ)と秋山の千葉(せんよう)の彩(いろ)」
つまり「春山と秋山どちらが趣深いか」を漢詩で競作させたのです。
当時の近江朝は大陸の影響を強く受けており、貴族の子弟のために官立の学校を創設して詩文を学ばせ「懐風藻」を編むなどを漢詩全盛の時代でした。
習いたての拙い漢詩を披露し、侃々諤々の応酬がありましたがなかなか決着がつきません。
それぞれの披露が終わった頃、天皇は鎌足を通じて額田王(ぬかだのおおきみ)に「どちらに趣があるか判定せよ」と下命されました。
突然の指名にも動じることなく、恭しく承った額田王は漢詩ではなく
和歌(長歌)で応え、朗々とした声で詠いはじめます。
冬こもり 春さり来れば (冬の枯木が青々と茂る春になると)
鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ (これまで鳴かなかった鳥も来て鳴く )
咲かずありし 花も咲けども (冬の間咲かなかった花も咲き出す、が、しかし、、、)
山を茂(し)み 入りても取らず (山が茂っているので 分け入って美しい花を採ることも出来ない)
草深み 取りても見ず (草が深いので花を手に取って見ることもない)
秋山の 木の葉を見ては (秋の山の 木の葉を見ては)
黄葉(もみち)をば 取りてぞ偲(しの)ふ (色づいた葉を手に取って愛でる)
青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし (青い葉はそのまま捨て置いて嘆く。その点が残念です)
秋山我(わ)れは (でも春か秋かどちらを選ぶかと云われれば 私は秋!)
巻1-16 額田王
伊藤博氏は
『春秋それぞれ支持する聞き手に心を配り、双方を巧みにあやつりながら最後は論理的根拠を何一つ持ち込むことなしに突如「秋」に軍配を上げた。
この歌は一座の喝采をあび、春側も秋側も恨みっこなしの和気と哄笑が座をおおつたことであろう。
心残りも罪もない爽やかなお開きというべき 』
と述べておられます。(万葉集釋注)
街路樹も黄葉したり 優しさに包まれ 車走らせる友
ひこばえの稲田を守るか 楽し気におやつ食べてるかかしもいたり
武奈ヶ岳に夫婦二組登りせば 情熱的な紅葉が燃ゆる
春になれば春はよいとは思うけど、紅葉の美が優ると吾も思いぬ
干し柿を百も吊るすと友いふなり 橙色(だいだいいろ)のすだれ偲ばむ
渋柿は良いなあ 実は干し柿 葉は鯖のすし包み柿の葉寿司
吾が従姉料理名人 柿の葉寿司作ってくれた 吾の好物
久し振りにアンドリュー・マーレ―「謙遜」を読みて 吾にはない事を知る
高慢な人を見るたび腹が立つ でもイエス様はすべての人に謙遜
謙遜とは どんな人に対してもなされる態度 なんと難し
伯母逝きてはや50日も経たんとす いとこ慰むる花を送りぬ
11/8(火)
なぜ神は私を選んでくだされしか 驚くばかり 不思議と感謝
鼻毛を掻きだしてと何度言ってもぐるぐるされ 痛くて心拍数上がる アラームが鳴る
「ここからは月見えへんな」とナース言う 今日は皆既月食ある日だそうだ
調べたら天王星が月食の月のすぐ下に見えるらしいぞ
月食の写真次々送られぬ この神秘共に楽しむを感謝
今日の学習・月食の起こるしくみ(国立天文台)
地球と月は太陽の光を反射して輝く天体です。地球にも太陽の光による影があり、太陽とは反対の方向に伸びています。この地球の影の中を月が通過することによって、月が暗くなったり、欠けたように見えたりする現象が「月食」です。
月食は、太陽-地球-月が一直線に並ぶとき、つまり、満月の頃だけに起こります。ただし、星空の中での太陽の通り道(黄道)に対して月の通り道(白道)が傾いているため、ふだんの満月は、地球の影の北側や南側にそれたところを通ります。そのため、満月のたびに月食が起こるわけではありません。
地球の影には「本影(太陽光がほぼさえぎられた濃い影)」と「半影(本影を取り囲む薄い影)」の2種類があり、月がどちらの影に入り込むかによって、月食の呼び方が変わります。
半影食
月の一部または全部が半影だけに入った状態。半影は薄い影なので、目で見ただけでは月が欠けているかどうか、はっきりとはわかりません。
本影食
月の一部または全部が本影に入った状態。一般的に「月食」というと、「本影食」のことを指します。本影は濃い影なので、月がはっきりと欠けたように見えます。月の一部だけが本影に入り込む現象が「部分食」、月の全てが本影に入り込む現象が「皆既食」です。
皆既中の月の色
皆既食中には、月が本影の中に完全に入り込みます。しかし、皆既食中の月は真っ暗になって見えなくなるわけではなく、「赤銅(しゃくどう)色」と呼ばれる赤黒い色に見えます。
これはなぜでしょう。
地球のまわりには大気があります。太陽光が大気の中を通過する際、波長の短い青い光は空気の分子によって散乱され、大気をほとんど通過することができません。一方、波長の長い赤い光は散乱されにくく、光は弱められながらも大気を通過することができます。これは、朝日や夕日が赤く見えるのと同じ理由です。また、大気がレンズのような役割を果たし、太陽光が屈折されて本影の内側に入り込みます。このかすかな赤い光が皆既食中の月面を照らし、月が赤黒く見えるのです。
皆既食中の月の色はいつも同じではありません。大気中にチリが少ないと大気を通り抜ける光の量が多くなり明るいオレンジ色に、逆にチリが多いと大気を通り抜ける光の量が少なくなり、黒っぽく見えます
日本で皆既食中に、天王星食のような惑星食が見られるのは1580年(本能寺の変の2年前)以来442年ぶりで、次回は322年後の2344年の土星食と予想され、極めて珍しい天体ショーとなりました。
11/10(木)
高橋博牧師のフェイスブックより
エペソでは賢い人とは、機会を十分に生かして用いる人と書かれています。機会を生かしなさい、悪い時代だからです、とは、時間を贖い取りなさい、という意味です。時間が悪魔に管理されているなら、悪魔の時間支配から、時間を取り返しなさい、という意味が、賢い人、機会を十分に生かしている人であります。昔ミヒャエルエンデのモモと言う時間泥棒の本を子どもが読んでいたことを思い出します。時間は人生そのものであります。メリハリの効いた時間管理か惰性に流れた日を過ごしているか。忙しさに追われて、自分を見失っている時間の用い方か、時間を悪魔の管理から贖い取りなさい、神様の管理下で時間を使うこと、このように賢い生き方が勧められています。社会で毎日多忙に過ごしていても、時間に支配されないで、何とか時間を支配して、自分の人生の主人の地位をしっかりと持って歩むことが賢い生き方であります。毎日、聖書を読む時間、祈る時間、これをきちんと確保して、毎日の歩みを神様の光の中で歩みたいと思います。酒に支配されないように、又酒に代表される、世の楽しみに支配されないで、世の楽しみを管理して、心を聖霊で満たしていただいて歩んでいくなら、人生そのものが、恵まれた有意義な人生となって行きます。今日も聖書を読んで歩める恵みを感謝しましょう。シャローム。
病床の私は時間がたっぶりで 聖書霊想書に 牧師のことばに
動き回ることできないけど こういう生活を恵みと思える 吾は幸せ
母の居しホームで暮らせる叔母の容態悪くなりぬと従弟よりライン
半年ほどまえに従姉が作ってくれしラインを聞いたとふ 今日のため主は備え給いぬ
敬老の日に寄せて送りし本と手紙 従弟開きて叔母に聞かすと
子どものころ嫁いで来られたおばちゃんの花嫁姿はとてもきれいで
叔父さんは美しい人を選んだと子ども心に思いし昔
雑草の小さき花をもいつくしむやさしき叔母なりしいつも笑顔の
君子蘭簡単だよと分けてもらい 吾育てれば姿がみだる
ああ会いに行きたかったと車いすに自由に乗れぬわが身が悲し
11/11(金)
下剤をば増やしたと医師云うけれど、4時間乗れどもお通じはなし
へバリンロックする時回路が動かされ、3時間後に外れてしまう
腕コール鳴らせず、ワードの文章を最大音量で読み上げるなり
そうすると、音感知センサー働いてナースコールが鳴り始めるの
回路外れと心拍数の異常知らすアラームもなるがなかなか来ない
パソコンの警報音も鳴らすなり やっと来てくれた その後も不安
気切の所に差し込むトラックケアの下になる毛布が回路を持上げるのも悪い気がする
「秋の童話」(韓国ドラマ)の歌詞を写して ハングルの読み仮名を書けどもたくさん間違う
11/12(土)
神との平和をいただいた この幸いが分かしりはいつか
自分の願い叶うことが幸いと思っていたなあ かつての吾は
困難も神が下さる最善と信じることができるが幸い
広島支部の交流会に参加 zoom併用は難しいと思う(会場の声がよく聞こえない)
午後ズームといえばナースは顔そりをしてくれるなり 優しいなTさん
では、また。シャローム。